マスダ80年代女性アイドル論~斉藤由貴論

 

人生山あり谷ありと申しますが、浮き沈みの激しい芸能界、これまで取り上げたトップアイドル5人ですが、プレミアム感を維持しながら、それぞれに生き残っているのはさすがです。80年代に小話のネタで「ミナミノヨウコとミナミダヨウコ、一字違いで大違い」というのがありました。南田洋子さんは若い時は大変な美人女優で、当時も上品な美しい人ですから、この言い方はずいぶん失礼だったのですが、まあ若い人からすればおばさんには違いない、敢えて南野陽子と比較すれば、それは南野陽子の方が当時としては全然いいわけです。でも考えてみれば当時の南田洋子の年齢と、今の南野陽子の年齢はそうものすごく違うというわけでもない。それでいて、今でもテレビのバラエティに出てくれば、「あのアイドル、ナンノちゃんが来てくれました!」みたいなハレの日感を維持していますね。

これは80年代女性アイドルに限った話ではなく、80年代に登場した/有力になった人物、フォーマットは未だに影響力があります。例えばお笑い界で言えば、60年代のクレイジーキャッツ、70年代のドリフターズ萩本欽一はそれぞれ続く10年では息切れしていましたが、お笑いBIG3は未だにお笑いBIG3です。これと似たような現象が、80年代についてはありとあらゆる分野について見られます。

もちろんそうは言っても、人そのものは年齢を重ねてゆくわけですから、80年代トップアイドルたちもそれぞれ見せ方を変えてきています。一貫してアイドルである松田聖子でさえ、もう聖子ちゃんカットにはしてくれません。デビュー当初の松田聖子はとてもキュートでしたが、映画『野菊の墓』で前髪を上げた時、キュートさがびっくりするくらい無かった、彼女にとって前髪がものすごく重要であることを多くの人が認識したのですが、結婚以後、どういうわけか彼女はかたくなに前髪をオールバックにしていますね。

そういう小さなことから、歌唱スタイルをまったく変えてきた中森明菜に至るまで、プレミアム感を維持したトップ芸能人という立場は同じでもその内容は違う、そういう変遷をそれぞれに辿っています。

しかしほとんどアプローチの仕方が変わっていない人もいて、斉藤由貴がそうです。

彼女の場合は路線変更や、あれこれ小ネタを仕込む必要もないほど、順調だった、彼女の人生の行事に合わせて、芸能界の仕事がいいように流れて行った、だから流れに身を任せれば良かった、そういう特に恵まれた境遇にあるのが見てとれます。

アイドルとしてはもちろん、芸能人として斉藤由貴ほど恵まれた立場にある人はそうはいません。もちろん、アイドルとして彼女よりも成功した人たちはいるのですが、その人たちから見てさえ、斉藤由貴の境遇は出来れば替わって欲しいものでしょう。これまで取り上げてきた5人のアイドルと斉藤由貴のうち、事務所を移ったことがないことがないのは小泉今日子斉藤由貴だけです。聖子も明菜も、薬師丸も南野も、それぞれに苦闘と逆境がありました。小泉は天下のバーニングプロダクションの、郷ひろみと並ぶ最古参タレントのひとりとして安定した立場にありますが、その立場は結果であって、トップアイドルに上り詰めて維持するためには試行錯誤のセルフプロデュースを試みなければなりませんでした。斉藤由貴のみ、ただ流れに乗っているだけで、他の人が垂涎するような仕事に恵まれて、その流れがずっと維持されています。

「自分は人間関係では子供の時からずっと不器用で苦労しているけれども、こと仕事に関しては順調だった。運動神経もあんまりよくないので『スケバン刑事』の仕事の時はあんまり乗り気じゃなかったけれど、その仕事も好調で視聴率もよかった。あんまりこの仕事はしたくないというのがないので、来る仕事をそのままこなしていたら、思う以上にいい結果が出て、それがずっと続いている感じです」

斉藤由貴は述べています。

ただし、単に流れに身を任せているだけではなくて、彼女の場合は結果を出しています。来る仕事来る仕事をホームランで打ち返している、だから次につながっているのです。こと彼女に関しては、東宝芸能と言う事務所がマネージメントが的確だったのは確かでしょうが、無理やり事務所がねじこんだタレントではなくて、確実に結果を残してきたから順調であったのです。結果として彼女のタレントとしての個性と、東宝芸能と言う事務所の芸能界での立ち位置がマッチしたとは言えますが、彼女以外のアイドルが東宝芸能のマネージメントを受けても同じような結果を残せたはずがありません。一方で、やはり他の芸能事務所では斉藤由貴と言う才能を活用しきれなかったでしょう。

 

斉藤由貴が恵まれたアイドルであるのは間違いありません。恵まれていると言うのは、女優としていい流れで仕事がサジェストされてきた、歌手として楽曲の水準が高かったという点においてです。そして最初からずっと順調でした。斉藤由貴もデビューが遅いアイドルで、高校三年生の時から芸能活動を開始していますが、1984年春に東宝シンデレラオーディションで準グランプリに選出されたのが芸能界入りのきっかけです。よく、ミズマガジンコンテストグランプリから彼女の経歴が書かれることが多いのですが、ミスマガジン東宝シンデレラオーディションの後です。そういう経緯から彼女は東宝のタレントであるわけです。

東宝は言うまでもなく、大手映画会社の一画を占め、現在は業績においては圧倒的に日本でトップの映画会社です(ただしそれはTOHOシネマズなどの映画館チェーンが好調だからですが)。それだけではなく阪急東宝財閥の中核企業であり、宝塚歌劇団をグループ内に抱えています。マネージメント業務を担当する東宝芸能は、数ある芸能事務所の中でも、一番安定していると言えるでしょう。

東宝シンデレラオーディションは、東宝が久しぶりにスター発掘のために開催したオーディションで、第一回のグランプリが沢口靖子、準グランプリが斉藤由貴でした。彼女たちは今では東宝の顔になっています。東宝のマネージメントはある意味、タレントの自主性を重んじる傾向もあるのですが、東宝シンデレラオーディション出身者、特に第一回の出身者である沢口と斉藤については社運をかけているという面もあって、脇をがっちりとサポートして、手塩にかけて育てた、本格派を目指させた、ありとあらゆるチャンスを与えた、そういう感じです。

沢口はデビュー作が、当時、東宝の看板映画だった『刑事物語』の三作目、続く二作目がやはり東宝の看板作品である『ゴジラ』です。沢口は『ゴジラビオランテ』にも出演していますから堂々たるゴジラ女優ですが、こういう売り出し方がアイドル売りの王道とはかけ離れていることは言うまでもないでしょう。沢口や斉藤は、学生、もしくはついこのあいだまで学生だったのですから、学園ものを演じさせればそれなりにはまったはずですが、「身近な経験から演技を構築してゆく」のではない、物語そのものからキャラクターを構築してゆく演技を最初から要求されています。そういう演技が難しいのかどうなのか、演技の資質がある人にとってはかえってやりやすいのではないかと思いますが、そうではない人にとっては真夜中に霧の中を進むようなものでしょう。とにかく、日常の「女の子」から演技を積み重ねてゆくような、私小説的なアプローチを封じたわけで、これは斉藤由貴についても同様です。

斉藤由貴のドラマ初出演作は『野球狂の詩』で、その次が『スケバン刑事』です。いずれも東宝制作ではありませんが、非日常的と言う点では、十分に非日常的なお話から斉藤は演技をスタートさせています。

 

斉藤の芸能活動の開始は1984年からですが、高校三年生であったこの年、彼女は神奈川の県立高校に在学していたので、大きな活動はありませんでした。ミスマガジンでマガジンの表紙を飾ったのと、伝説的なCM『青春という名のラーメン』に出演したくらいです。続く1985年の1月に月曜ドラマランド枠で『野球狂の詩』が放送され、2月にファーストシングル『卒業』が発売されました。

『卒業』が発売された時には、斉藤由貴はもうかなり話題になっていたので、『卒業』はいきなりベストテン入りして、最高6位までチャート順位を上げています。デビュー曲がベストテン入りしたアイドルは既に映画女優として実績のあった薬師丸ひろ子原田知世おニャン子の流れでデビューした工藤静香を除けば、「80年代女性アイドル格付 」ベストテンの中では斉藤由貴だけです。

そして1985年4月から『スケバン刑事』の放送が始まります。

 

ここで彼女の異端性について触れておきましょう。ご存じのとおり、彼女は信仰心がある人です。現代日本では信仰・信心があること自体が異端で、それも仏教系・神道系ではなく、外来のキリスト教を信仰しているのは異端の中の異端、更にキリスト教の中でも、末日聖徒イエス・キリスト教会モルモン教)の信者であることは異端です。キリスト教系新宗教派の中でも、その教義や戒律において異端性が特に濃厚なセクトです。エホバの証人統一教会と比較しても、特に異端性が強いと私は見ているのですが、最近はあたりが緩やかになっているのでしょうか。2012年のアメリカ大統領選挙で、共和党の候補にモルモン教徒であるロムニー氏が選ばれたのは意外でした。現在キリスト教においては、全体がリベラル色を強める中、保守回帰の宗派に転向する人も増えています。イギリスでカトリックに転向する人、中南米でカトリックから更に原理主義的な新教系原理主義に転向する人、そういう例もかなり見られます。教皇フランシスコが先日、同性愛を容認する方向についに踏み込みましたが、カトリックからキリスト教原理主義に転向する人も増えるかも知れません。

そういう中でモルモン教も異端であるがゆえに、より濃厚な保守主義を維持したい人たちの受け皿として浮かび上がっているのかも知れません。

斉藤由貴は宗教においても特に異端性が強いセクトの信者であるわけですから、どうしても異端性を自覚して生きてこなければならなかったはずです。それが彼女に他の少女とはまるで違う、ゆらぎのような魅力を与えています。それは純粋さ、純潔さであるように見えますが、要は世界観のずれ、であるわけです。西洋人がジャポニズムに感じたような世界観のずれから生じる「発見」「新感覚の体験」、斉藤由貴はそうした未知の体験を触れる者に与えるのです。

彼女が社会において異端であることを踏まえれば、彼女がある意味において「生きづらい」のも当然なのですが、それでいて彼女は信仰そのものを相対化するようなゆらぎをも抱えています。彼女が単純に敬虔な信者というならば、二度に及んだ不倫など出来るはずがないのです。彼女自身はその不倫を正当化はしていません。そういう意味では信仰を維持しているのは確かですし、その行為があったからと言って「魔性の女」扱いするのは不適当ですが、それほど信仰する宗教の中にあってさえ、時にやむにやまれぬ衝動に突き動かされる、異端性を彼女は持っているということなのです。

そのセクトの信者であることによって社会生活において彼女は異端なのですが、彼女自身のキャラクターによって信仰仲間の中にあっても異端なのです。それが彼女の「生きづらさ」になっていますが、事が彼女の信条と性格に由来するために、それこそ生まれ落ちた時点から彼女はこの異端性を抱えています。だからそれが当たり前なので、ある意味、「もはや問題ではない」のです。空が青いのと同じく、生きづらいのがデフォルトなので、もちろんそれに伴う苦労はあるにしてもそれで悩むことはもはや意味がない、だから悩まない。彼女には異端でありながら底抜けの楽天主義があるとしたらその根っこは諦めの境地です。

 

斉藤由貴は特に楽曲に恵まれたアイドルです。シングルはいずれの曲も神曲のレベルにあります。

作詞では松本隆森雪之丞谷山浩子、作曲では筒美京平玉置浩二亀井登志夫原由子らが担当していますが、いずれも彼らのキャリアの中でも一二を争う水準の作品を提供しています。これはおそらく斉藤由貴に創作意欲を掻き立てる何かがある、ジャポニズムに触れたゴッホのように、斉藤由貴によって創作のトリガーを引かれる何かがあったということなのですが、デビュー曲『卒業』を例に、見てみましょう。

 

斉藤由貴がデビューシングル『卒業』を発表した1985年2月、同名のシングルが他に2作、チャートインしていました。菊池桃子の『卒業』と尾崎豊の『卒業』です。毛色の違う尾崎は別にして、ここでは斉藤と菊池、斉藤版『卒業』と菊池版『卒業』を比較してみましょう。

「80年代女性アイドル格付」では私は斉藤を8位、菊池を9位にしましたが、記録上の実績では菊池の方が上です。菊池はオリコン1位のシングルを6枚出していますが、斉藤は『青空のかけら』1作のみです。ただし、1985年から1989年まで、年間の順位で菊池が斉藤を上回ったのは1985年のみで、菊池は1988年と1989年には年間100位以内にチャートインしていませんが、斉藤はしています。斉藤の方が息が長いアイドルだったことがうかがえます。

1985年は菊池の全盛期で、菊池版『卒業』もオリコン1位になっています。斉藤版『卒業』も6位ですから、新人の実績としては大健闘だったのですが、その時点では菊池版の方が実績を残したのも確かです。しかしどうでしょうか、あれから30年近く過ぎて、言及される頻度が高いのも、記憶に残っているのも斉藤版『卒業』の方ではないでしょうか。それは楽曲としては斉藤版の方が出来がいいからだと思います。

松本隆はもちろん松田聖子プロデュースで知られますが、聖子以外に提供した楽曲の中にも佳作傑作はずいぶんあって、石川秀美『ゆ・れ・て湘南』、薬師丸ひろ子『Woman~"Wの悲劇"より』、斉藤由貴『卒業』『情熱』は白眉の出来です。

斉藤版『卒業』で好きなフレーズは、

ああ 卒業しても友達ね

それは嘘ではないけれど

でも 過ぎる季節に流されて

逢えないことも知っている

のところですね。集団から浮き上がっている、集団の中では流されない冷静な批評眼が提示されています。

これは私のある種の偏見かもしれませんが、女性による批評評論の多くは自己憐憫の主観が強すぎて読むに堪えません。平均のラインが男性よりもずっと低い。けれども最高水準の批評家何人かを選べと言われればおそらくそれは女性ばかりになるでしょう。批評に限らず創作でも感じることですが、女性全般の平均は低いけれども最高水準の女性の書き手は男性のトップと比較してもなお傑出している。そう感じることが多々あります。

斉藤版『卒業』における松本隆の作詞は、そうした女性の高度な批評眼を的確に捉えています。彼もまた超一流である証です。卒業と言う感傷の中にある冷静な眼差し、これを書いた松本隆もすごいし、これを歌わせようと思わせた斉藤由貴もすごいですね。菊池桃子の『卒業』もいい曲なんですが秋元康は男目線なんですよ、やっぱり。松本隆はさすがに年季が入っているだけあって、頭がいい女性の批評眼と言うか冷たさと言うか冷静さ、しっかり捉えていますね。けれども、これを菊池桃子が歌ったら似合わないと思いますから、秋元康は菊池桃子と言うフォーマットに沿った詞を作っただけかも知れません。

ただ、菊池桃子『卒業』と斉藤由貴『卒業』、ヒロインの立場は似通っているんですよ。どちらも、付き合っている/付き合ってはいない、は別にして初恋の男性を都会(東京)へと送り出す立場です。

菊池版『卒業』では、

4月が過ぎて都会へと

旅立ってゆくあの人の

素敵な生き方

うなづいた私

何だか物足りない、妙に物分かりがいい感じがします。対して、斉藤版『卒業』では、

セーラーの薄いスカーフで

止まった時間を結びたい

だけど東京で変わってく

あなたの未来は縛れない

とより主体的な、色彩の豊かな表現になっています。

諸般の要素があるから一概に作詞家の優劣はつけられませんが、出来上がったラインだけを見れば、『卒業』合戦は松本隆の圧勝なのは明らか、少なくとも私はそう思います。ただ、菊池桃子の歌ではヒロインがぼんやりとしているのはわりあい一貫しているんですね。『Broken Sunset』では彼氏からいきなり「他に好きな人が出来た」と切り出されても、「泣かないように目を閉じた」、それが精いっぱいの感情表現なんですね。重要なのは、菊池桃子にこういう歌を歌わせたい、こういう歌を歌うべきと作家や製作者が考えてサジェストした歌がそういう歌なんだということです。

女性なり女子なりが持っている批評性をみじんも感じさせない、幼女のような聖女のような、どこか現実離れした世界を菊池桃子は歌っています。男目線の少女の歌ですね。

対して、斉藤由貴の楽曲のヒロインは遥かに色彩が豊かです。デビュー曲の『卒業』からして、片思いの相手に対する批評が含まれています。斉藤由貴はそういう歌を歌わせたくなる、躍動感のあるアイドルです。

斉藤由貴の個性が、ライターを刺激して、それが結果的に神曲ばかりになった、ライターと歌い手の幸福な結合が斉藤由貴の楽曲にはあります。

 

女優としての斉藤由貴のキャリアを考えてみましょう。

斉藤由貴は一般に演技が上手な女優と見られています。もちろん下手ではありませんが、まず役柄の幅が狭い。活発でお転婆な少女(女性)が困難にたいあたりでぶつかって、周囲を動かしてなんとかなってゆく。このタイプの役、仮に斉藤由貴型と呼んでおきますが、こう言う役が非常に多い。

この型の初出は、1985年に放送されたNHK銀河テレビ小説『父(パッパ)からの贈りもの』です。これは日本最初期のコメディエンヌで文学座の重鎮だった新劇女優で演出家だった長岡輝子の自伝をテレビドラマ化したものです。長岡輝子はテレビドラマでは『おしん』の加賀屋の大奥様役(おしんに文字を教えた老女)で一般には知られています。斉藤由貴が出演した連続テレビドラマでは『スケバン刑事』の次、『スケバン刑事』の放送期間中に撮影・放送されたものです。

長岡輝子の父は著名な英文学者で、洋行のたびにお土産を買ってきてくれる、娘思いの父親でしたが、長岡が女優になりたい、そのためにパリで芝居修行をしたいと言うと、後押しをして費用も出してくれた、それが「父からの贈りもの」だった、そういう話です。『はいからさんが通る』っぽいというか、非常に『はね駒』的です。斉藤由貴の演技は、この斉藤由貴型、スケバン刑事型(『野球狂の詩』『スケバン刑事』『和宮様御留』『新十津川物語』)、その他型(『小公女セイラ』など)に分けられるとすると、圧倒的に斉藤由貴型が占める割合が高いです。

はね駒』も『あまえないでョ!』でも『はいすくーる落書』でも『吾輩は主婦である』でも、『八代将軍吉宗』や『同窓会』でさえ、基本的には同じ演技、同じキャラクターです。敢えてスケバン刑事型と分けたのもしいて言えばという話であって、ああ、いかにも斉藤由貴の演技だなと思わせるには違いありません。2012年の朝ドラ『おひさま』でも基本線を踏襲していたのには、ある意味、さすがだと思いました。

丹波哲郎がかつて言っていたのですが、キャスティングの時点で、この役はいかにもこの人に合うと思われてキャスティングされているのだから、余計な役作りは不要、自分自身がその場に置かれた状態で演じればいいと言っていました。一つの方法論としては分かる気がします。斉藤由貴が役作りをどう捉えているのかは別として、結果的に役を自分の側に引き寄せる人だと思います。

役の後ろに斉藤由貴が見えて興醒めだ、というのではないんです。「役を自分に引き寄せる」型の人にはそういう人がいますね。そう言う人は多分、役それ自体に対する理解が足りません。他人に対するアンテナが弱いんじゃないかと思います。本質的にナルシストの人は役者には向いていません。

斉藤由貴は役として非常にリアリティがある演技を見せています。ただ、そのリアリティが斉藤由貴と言うフィルターを抜きがたく感じさせる、そういう意味ではたぶん、役そのものとは違います。斉藤由貴が実際にそう言う立場だったらこういう反応を返すだろうという意味では非常に説得力があります。ただし、そのリアクションは斉藤由貴以外では再現不能という意味において、役そのものには根差していないのです。

もちろん、役者の演技なんて誰の演技でもその人以外には、その人であっても再現不能じゃないかと言うならばそうなんです。その通りなんですが、自分と言うフィルターを演技の構築の上でどれだけ重視するかどうかで、役そのものからロジカルに構築するタイプと役を自分に引き寄せるタイプに分かれるのではないか、そう思います。その分け方ならば斉藤由貴は明らかに後者ですね。

 

1986年、朝の連続テレビ小説はね駒』の主役に斉藤由貴は抜擢されました。朝ドラではヒロインはオーディションで発掘されることが多く、実際、『はね駒』以降では再びオーディション選考に戻り、若村麻由美、山口智子藤田朋子らが発掘されていますが、1985年の『澪つくし』と1986年の『はね駒』は既に有名であった沢口靖子斉藤由貴が抜擢され、非常に好評でした。

1983年『おしん』以後、朝ドラ自体が好調だったのですが、その中でも『澪つくし』と『はね駒』は視聴率も良ければ評価も高い作品です。朝ドラが新人を起用することが多いのはスケジュール拘束が長時間、長期に及ぶからであって、1986年の時点で普通に考えれば斉藤由貴に朝ドラに主演するメリットはそれほどありません。

すでに名も売れていて、アイドルとしても若手女優としても収穫の時期でした。東宝は1985年に一作『雪の断章』、1986年に一作『恋する女たち』で彼女主演の映画を製作していますが、『はね駒』がなければもう何作かとれたでしょう。朝ドラの主演女優はとにかくハードスケジュールだったと言いますが、斉藤の場合は『はね駒』の撮影・放送中にもアイドルとしてベストテン番組や他の歌番組にも事実上、レギュラー出演していて、CM撮影や映画の撮影まで入っていたのですから、その多忙さは半端ではありません。普通に考えたら、『はね駒』の主演依頼は断るだろうと思います。

けれども彼女と東宝芸能はそれを受けました。アイドルとして数年を駆け抜けるのではなく、女優として一生活躍していくためには、確かに朝ドラ主演は一生涯の名刺になるからです。そして『はね駒』は共演者である渡辺謙の名を全国区にして、翌年の大河ドラマ独眼竜政宗』への道を切り開くと同時に、斉藤を国民的女優にしました。

この年、斉藤は『悲しみよこんにちは』で紅白初出場を果たすのですが、紅組司会も担当しています。松たか子が同じく紅組司会を担当するまで、紅白最年少司会の記録でした。松たか子の場合は、高麗屋のお嬢さんですし、NHKドラマ『藏』では目の覚めるような演技を見せてNHKに対する貢献もありました。斉藤由貴も東宝をバックに持ち、『はね駒』の貢献もありましたが、斉藤も松も、立ち位置から言っても実績から言っても、彼女ならば当然だという国民的な支持があったということです。

斉藤はアイドルとしては最も広範囲から支持された人ですが、支持層が広いと言う点では小泉今日子に似ていますが、小泉は高齢層にはアピールしていません。高齢層にも「うちの孫」的な人気があったという意味において、当時の斎藤の立ち位置はまさに国民的、似ている立場の人を選ぶならば、アイドルではなく、70年代末期の萩本欽一黒柳徹子に似ているのではないかと思います。

フェイドアウトの仕方も理想的でした。

80年代最末期から90年代初頭の、音楽番組壊滅の時まで、とにかく彼女はチャートに入り続けて、二流感を寄せ付けませんでした。

不倫騒動は大きな痛手になったはずですが、その後すぐに結婚してそれを理由にしばらく家庭に入ったため、仕事の波と自分のライフサイクルの波を上手くあわせて、プレミアム感を維持することが出来ました。斉藤由貴は確かに運がいいのですが、運を呼び寄せるのもキャラクターですから、実力に裏打ちされていると思います。