SMAP解散で問われるべき原因

こんにちは。

マンガのランキングの件、放置したままになっていますが年内には何とか手を付けたいと思っています。

さて、2016年8月13日、結成25周年目のSMAPが年末に解散することが報じられました。メンバー内の関係はドロドロのようです。

つい昨年のことでしょうか、例の週刊文春での飯島マネージャーがメリー喜多川氏に叱責される、という事件がある前のことでしょうか、木村拓哉さんがSMAP解散について、

「うちは最初からそれぞれの個性に応じてバラバラだから、方向性の違いなんて生じようがない。だから解散する理由がない」

と言っていました。

これはおそらくその通りだ、少なくともその通りだったと思うんですよね。そのまま平穏無事であれば、週一回、SMAP×SMAPで会って、年数回コンサートで顔を合わせて、後はそれぞれの仕事、それぞれの好きなことをする、それで何の問題もなかったのだろうと思います。

でもひとたび、確執が生じれば、それを乗り越えるほどの必然性もなかった、ということなんだろうと思いますね。

今回の解散騒動では、それぞれのメンバーがいかにもその人らしい言動をしめしていますが、誰が良くて誰が悪いという問題ではないと思います。

中居正広さんは、本来積極的にリーダーシップを発揮するタイプではないですよね。彼は調整役、聞き役、そういう型のリーダーで、何とか調整して形の上だけでもSMAPを残そうとした、けれども現実の情勢に押し切られた、そういう印象です。

木村拓哉さんは、彼が性格的には集団の方向性を決める、という意味ではリーダーシップがありますが、SMAPには中居さんがいますから。もし中居さんがいなければ、尖っていた部分が年月に応じて丸くなって、リーダーとして成長していたかもしれませんが、中居さんがいる以上差別化して、逆に参謀役的な立ち位置に律してきたのだろうと思いますね。

木村さんを弁護するわけではありませんが、SMAPがおそらくジャニーズタレントの中では抜きんでて高額所得であるのも彼が待遇を改善してからですし、ジャニーズの労働組合委員長と言われるほど、彼は一匹狼で時にセルフィッシュに見えますが彼ほど他のメンバーやジャニーズタレントの利益を確保してきた人はいないでしょう。

SMAP自体、人気が出るための初動のエンジン役には木村拓哉さん以外では務まらなかったでしょうし、基本的にはそのレガシーでSMAPは25年間やってきたわけです。光GENJIメンバーのその後と比較すれば、金銭的にも、仕事の露出的にも、木村さんが他のメンバーにもたらした利益は計り知れないと思います。そこはきちんと評価しないといけないのではないでしょうか。

それだけの功績がある割には、まったくというわけではないですが、それほど他のメンバーに対して「俺が俺が」という部分が少ない人だと思いますね。基本的に親分肌の性格なんだろうと思います。彼には駆け引きの経験もありますし、経営と対峙した経験もあります。SMAP経営的には彼の判断は間違っていなかったでしょう。

問題はSMAP内のガヴァナンスを彼が確立していなかった、ということではないでしょうか。

稲垣吾郎さんはメンバー内からも軽く扱われることが多い人ですが、ひょうひょうとしていていいキャラクターです。積極的にどうこうするということはないでしょうが、だからこそこういう時に接着剤になれる、「いて便利な人」だと思いますね。私はSMAPから抜けてからこそ、彼のポテンシャルが発揮されてゆくのではないかと思います。もし芸能界政治的なしがらみがクリアされるならば、今後、俳優として一番ポテンシャルが高いのは彼だと思います。

草彅剛さんは結構我が強い人ですね。扱いが割合難しい人だと思います。彼の行動基準が、おそらくは純粋に芸能界的な判断基準ではないからだと思います。SMAPは個性に応じてそれぞれバラバラ、という面はあってもやはりSMAPというホームはあって、その中での役割はありました。そのくびきを脱すれば、そして新しい役に挑戦していけば、個性派のいい役者になれるのではないでしょうか。主役を演じるのは彼にとっては不幸でした。

香取慎吾さんは、天才です。多くの人が絶賛していますが、1995年、「沙粧妙子-最後の事件-」で見せた彼の演技は、すさまじいものがありました。

沙粧妙子-最後の事件-」は俳優の誰もがいい演技をしている、主演の浅野温子さんも珍しくいい演技をしているのですが、香取慎吾さんはその中でも完全に別格です。

百年に一人、というような天才俳優が出てきた、とあれを見た人は誰もが思ったのではないでしょうか。その後が「透明人間」でしたか、なんだこれは、と思いました。彼ほど出来がいい時とそうではない時の落差が激しい俳優はそうはいないですね。ネタキャラクターの「慎吾ママ」もちゃんとお母さんに見える、というかお母さんにしか見えない、なにかモンスター的な特殊スキルがあるような、そういうレベルの俳優です。

今回解散のイニシアティヴを彼が握ったという報道もあれば、彼としては「どちらでもいい」というスタンスだった、という報道もありますが、視聴者の目に見えて、彼が木村拓哉さんに敵対的だったのは事実でしょう。SMAPの活動についても積極的ではなかったでしょうし、仮に彼が今回の件では直接的には「どちらでもいい」というスタンスであったとしても、周囲にもはや継続は困難だと思わせた理由が彼にあるのは疑うべくもありません。

一度はSMAP存続でみな合意したわけですから、とにかく様子見でやってみようという意思はあったのでしょうが、香取さんの様子を見て「これはもう無理」と判断したのでしょう。

そういう意味では香取さんは「変わらない」。でも彼は最初からそう言う人であって、そういう部分で成功してきたんですよね。常に「大人の事情」には取り込まれない。ある意味、「成長しない」。

「沙症妙子-最後の事件-」の記念碑的な彼の演技についても、あれはある意味、演技ではなかったのかもしれないと思います。少なくとも、一般的な意味での演技ではない、彼の持つ闇の部分がうまい具合に引き出された結果、信じがたいほどの高水準が実現されたのでしょう。そういう意味では彼は決して器用な俳優ではありませんし、使う側の使い方のセンスが問われる俳優でしょう。

彼は「器用そうに見えて器用ではない」「変わらない」「変えない」「成長しない」、そういう人だからこそ成果を残してきたわけで、今回の騒動はまさしく、SMAPが成功した理由がそのまま解散の理由になっているのです。だからこそ、少なくともメンバーについては「誰が悪い」という話ではありません。

香取さんは今後、消える可能性が一番高いメンバーでしょうし、逆に日本芸能史レベルでレガシーになり得る唯一の人だと思います。扱いが難しい人です。活かし方が難しい人です。飯島マネージャーや中居さん、木村さんはよくやってきたと思います。

もし芸能界のエスタブリッシュメントたちに、文化に携わる者としての矜持があるならば、香取慎吾さんのような人を活かしてこそ、ではないでしょうか。

 

昨年のまだ平穏な時期に、木村拓哉さんが「うちには解散する理由がない」と語ったように、解散決定へと至る一連の流れはメンバーたちは完全に「巻き込まれた」ものです。その意味でも、メンバーの誰それが悪い、と言うのは不適切です。彼らが原因ではありませんから。

直接の原因はメリー喜多川・ジュリー藤島派と飯島女史派の会社内での派閥対立ですが、そもそもからいえば、社長のジャニー喜多川氏が6割の株式を持つ完全同族会社で、どうして派閥争いが生じたのか、という話です。

株式をそもそも所有していない飯島女史が派閥を作れるはずもないので、彼女がジャニー喜多川氏の支持を受けていた、容認されていたのは明白です。本当の問題は、ならばなぜジャニー喜多川氏が今回の件にきちんと介入しなかったのか、ということです。

ジャニー喜多川氏の会社内でのガヴァナンス、ガヴァナビリティが問題の本質です。

おそらくは単に株式の問題では測れない程度には、ジャニー喜多川氏は経営的な意味において会社を掌握できていないのではないでしょうか。

戦後日本は一億総中流社会といわれ、上流階級が見えにくくなっていますが、上流階級、支配階級のネットワークは厳然として存在しています。

華族の人たちの経歴を調べてみればすぐにわかりますよ。特に重要なのは閨閥です。戦後の新興富裕層と旧体制の支配層の接着剤となったのが旧華族であって、これは彼ら全員に利益があることなんですね。

資産、ネットワーク、コネクションをそれぞれ確保する、ということですから。

政商とも呼ばれ、裏社会にも通じているといわれた小佐野賢治氏は夫人を旧堀田伯爵家から迎えています。これは彼が単にトロフィーワイフを求めた、というのではなくて、彼が率いる国際興業グループはこれで既得権益層のネットワークにつながった、ということなんですね。

小佐野夫人の実弟は尾張徳川家に養子で入っています。徳川一族ともつながって、皇族ともつながっている、ということになります。

藤島泰輔氏は今上陛下のご学友、日銀総裁を出したこともある一族で、競走馬を何頭も抱えるような富豪でしたが、彼の口利きで、ジャニーズ事務所を立ち上げる際に小佐野夫人がスポンサーになっているらしいんですね。

藤島泰輔氏は言うまでもなくメリー喜多川氏の夫で、ジュリー藤島氏の父親です。

つまりジャニーズ事務所というのは、資金面からいっても、コネクション的に言っても経営の実務からいっても、ジャニー喜多川氏の事業というよりは藤島家のファミリービジネスなのであって、ジャニー喜多川氏は経営の実務を掌握していない、実態としては育成担当の「重役」に過ぎないとみるのが妥当だと思います。

昨年の例の問題になった週刊文春メリー喜多川氏へのインタビュー記事では、飯島女史の件以外でも彼女はいくつか興味深い話をしています。

マッチが一番大事、というのもそうなんですが、著作権やグッズの保護、興業における切った張ったのやりあいなど、「芸能事務所経営」の基幹部分は彼女が担ってきたようなんですね。

メリーさんとジャニーさんの姉弟仲は微妙、という声もありますが、資金は用意してくれる、コネも用意してくれる、難しい部分やややこしい部分は引き受けてくれる、ジャニーさんがやりたいタレント育成の部分だけは任せて専念させてくれる、ちょっとお姉さんとしては過保護なくらいですね。

SMAPと飯島女史が経営サイド視点から見ればアンタッチャブルになってしまったのは、ジャニー喜多川氏が「育成者を育成する」という視点で飯島女史を扱っていたからでしょう。それでずるずると来てしまって、派閥が云々というような事態になってしまった。

つまり事の根幹は、ジャニー喜多川氏の経営者らしからぬ行動にあるのです。

メリー喜多川氏の昨年来の暴発は彼女の強さではなく弱さの表れです。実態はどうであれ社長はジャニー氏ですし、株式も彼が抑えています。彼が「まあまあ」と言っている間はメリー氏は経営のガヴァナンスを徹底することができません。ああいう常識外れの暴発をしなければ、彼女には事態を動かせなかったわけです。

そして彼女にはもうそう長くは待つ時間がありませんでした。

芸能事務所というものは人を扱う商売です。極めて属人的な仕事です。経営者の代替わりではうまくいかないことも多いですし、特に、ジャニーズ事務所ホリプロのような経営の近代化を進めておらず、ジャニー氏、メリー氏の個性と個人的なつながりに依存する割合が大きい。ジュリー藤島氏がそのままレガシーを引き継げるかというのが問題です。もちろん、ジュリー氏がジャニーズ事務所の経営権を獲得するのは間違いないでしょうが、その時に飯島女史がいてSMAPを率いて独立すればジャニーズ事務所は居抜きで弱体化します。その場合はSMAPだけにはとどまらないでしょう。ジャニー氏もメリー氏もいないジャニーズ事務所に他のタレントが忠誠を誓う理由がありませんから。

ジャニー氏はメリー氏には恩義はあるでしょうが、姪のジュリー氏には別に恩義はないでしょう。「育成者」としての大局から見て、飯島女史を後継者に指名する、つまり株を遺贈することもないとは言い切れなかったでしょう。

メリー氏が動くならばあの時点が最後のチャンスだったということです。

それでも、メリー氏もジャニー氏もいずれはお亡くなりになります。あと半世紀も生きていられるはずもありません。

今後、これでおしまいにはならない可能性もあります。