マスダ80年代女性アイドル論~南野陽子論

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南野陽子と言えば、『はいからさんが通る』です。『はいからさんが通る』は少女漫画の代表的作品を挙げる時には必ず名前が挙がる作品ですが、70年代中頃の作品です。

薬師丸ひろ子論の中で、70年代にはマルキシズムの影響で、「女性も男性のようにリーダーシップを執らなければならない」という思想が、少なくとも先進的な意識を持つ若い女性や学校にはあった時代だったと言いました。その「あるがままの私」が80年代において現実との軋轢の中で鍛え上げられていきました。70年代の「あるがままの私」が実は女性に無理を強いているのではないか、それは本当に「あるがままの私」ではないのではないかという問題意識を体現し、生き方としてロールモデルを提示したのが松田聖子です。

しかし70年代以前は、松田聖子はまだ存在せず、女性は無理を承知で男の真似事をしなければならなかったのですが、その時代のロールモデルはフィクションの中にありました。

はいからさんが通る』もそのひとつです。この流れから、80年代の少女小説家たち、氷室冴子らが出てくるのですが、氷室冴子が理想としてのフィクションをいかに守ろうとしたか、いかに現実との狭間で苦闘を強いられたか、彼女の作品と同時に、諸々の葛藤を描いたエッセイをお読みになればあの時代の少女の意識と彼女たちが直面した現実が分かるのではないかと思います。

 

アイドル論を無理やりフェミニズムで語るつもりはないのですが、結果的にそれに近い感じになっていますね。それはアイドルたちが、時代のロールモデル、少女たちの在り方を反映しているからです。

薬師丸ひろ子には王道的な、「党中央本部の作成したスローガン」のような無菌的な匂いを感じますが、南野陽子はもっと現実寄りの人です。しかし評論家的ではありません。南野陽子には確かにフェミニズム寄りの感性があるように見えますが、フェミニズムがその成り立ちから逃れがたい、アンチとしての批判性を濃厚に持っているとしたら、南野陽子にはそれはありません。

フェミニズムの到達地点が南野陽子にとっては当たり前の状況、出発点であるような、そういう印象があります。

70年代にはフィクションで切り取られるしかなかった『はいからさんが通る』的な在り方が、現実に当たり前のように南野陽子の中には存在しています。南野陽子は『はいからさんが通る』の作者の他の作品である『菩提樹』にも映画主演していますが(『菩提樹』はおそらく大和和紀の最高傑作です)、自分の足で立つヒロインを南野自身のキャラクターを投影して演じています。

 

南野陽子は女子校出身ですが、プロフィールを見る前から私はおそらくそうなんだろうと思っていました。女子校出身者はしばしば、男性がいない状況で、ジェンダーとしての女性を内在化させないことがあって、すべての女子校出身者がそうではありませんが、自然な独立心を持っている女性のかなりが女子校出身者です。

そうした女性の社会への眼差しはアンチでもなければ評論家的でもありません。あくまで自分もその一員であると言う、責任感を持っている、部外者性をあらかじめ排除しています。

たびたび引用している松任谷由実の評ですが、彼女は南野陽子について、

「彼女は自分を持っているから好き」

と言っています。自分を持っていない人なんているんでしょうか。誰しも逃れがたく自分を持っています。けれどもその自分は幾層にも思惑や配慮や自分がこうなりたいというロールモデルによって塗り固められていて、剥き身の自分が自分でさえ分からなくなっている、特に女性はそういう人がほとんどです。

この場合、南野が自分を持っているというのは、剥き身の自分を隠すことさえ考慮にない、そのある種の無鉄砲さ、清々しさを指しています。それは絶対的に、かつ盲目的に自分を肯定する、傲慢さとは似て非なるものです。その種の傲慢さは実は絶対ではないからです。

例えば自分が美しいということについて、南野はもちろんそれを自覚しているでしょう。多くの場合、それは自意識とリンクして、自分をも値ぶんだうえで、他人を侮蔑することに直結します。それは多くの女性が、自分の武装と自意識を切り離して捉えることが出来ないからです。そうすることが出来ない、ということがジェンダーなのかも知れません。

南野の場合は、要素として自分が美しいことは承知している、だからそれを活用しようとする、しかし自意識はその要素とは別のところにあるのです。自意識は要素とはまったく無関係に絶対的に肯定されるものです。なぜならば自分は自分であるのですから。

比喩的に言うならば、南野の自己に対する捉え方は企業家的です。アイドル南野陽子は商品であるので、南野陽子当人とは別のものです。これはアイドルを演じている、別人格というのではなく、南野陽子の商品性を客観視しているということです。

表層に現れるアイドル南野陽子が、アイドルとして非常に典型的であるだけに分かりにくいかも知れませんが、南野陽子当人は理性的な、理が勝った女性です。そしてテレビはアイドル南野陽子を見つめる南野陽子をも映し出すのです。

商品としての自分と自分当人を分けて考える、このことを自分についても他人についても理解できない人がたくさんいます。

今年の初めに亡くなった十二代目市川団十郎の父の、十一代目市川団十郎は腰が低い人でしたが、団十郎を襲名してからは打って変わって尊大になりました。多くの人は彼当人が尊大になったと見たのですが、そうではなく、彼は団十郎と言う暖簾に対して敬意を要求したのです。歌舞伎役者ならば団十郎に最大の敬意を示すのが筋、悪評がたつことで彼個人には不利益になっても、団十郎の暖簾を守ろうとしたのです。

南野陽子も、尊大だと悪評が立つことが多い人でしたが、南野陽子と言う暖簾を大事にしろとスタッフに言ったのだとしたら理解しやすい話です。非常に友人が多い人で、素が出やすい場面では気さくな人ですが、素のキャラクターとアイドル南野陽子とアイドル南野陽子の経営者としての南野に乖離があるのだとしたら、それは自分を見つめる目が極端に理性的だからです。

 

素材として南野はアイドルとして最高のものを持っています。美人ではあるけれども、親しみやすいキュートな顔立ちで、声も鈴が鳴るように可愛らしい。アイドルとして最高なので、それ以外では大成しにくいという弱点もあります。

松田聖子中森明菜は歌唱力で、小泉今日子は斬新なパフォーマンスで、薬師丸ひろ子は演技で大成したように、実は彼女ら、スーパーアイドルであっても純粋にアイドルとしての性格を維持した期間はそう長くはありません。例えば中森明菜は、デビュー直後は肉感的な身体を水着を着て晒すなど、いかにもアイドル的なことをしていましたが、シングル3作目くらいからもう、歌唱をメインにした、アーティストとしての性格を強めています。『TANGO NOIR』の頃は皇后エリザベートもびっくりするくらいウェストが細くて折れそうなほどですが、デビュー直後はむしろやや太めなくらい、それくらいの方が男子には人気なのですが、性的なアイコンとしての価値を斬り捨てて、表現を高めていった、そういう路線に入ったから「単なるアイドル」を越えた時代のアイコンになったのです。南野にはそういう「先」はありませんでした。それはアイドルとして完成されていたからです。

何万人にひとりの逸材で、顔と名が知られるや否やあっという間にトップアイドルに上り詰めたのは不思議ではありません。不思議なのはこれほどの逸材が長らく飼い殺しにされていたことです。意外とプロフェッショナルのスタッフも分かっているようで分かっていない、そう思うことが時々あります。南野が「下積み」を強いられたというのにもそういう感想を持ちます。

角川三人娘のひとり渡辺典子は美人系の女性でアイドルとして人気が出るタイプではないのですが、オーディションでは彼女がグランプリ、原田知世が特別賞でした。むろん、人気も実績も原田知世の方がはるかに上の結果を残しました。

南野陽子も大手に所属すれば事情は違ったのかも知れませんが、彼女が所属したのは、エスワンカンパニーという弱小事務所でした。この会社はピンクレディーの楽曲で知られる作曲家の都倉俊一氏が立ち上げた芸能プロダクションで、売り込みのノウハウがありませんでした。

堀越学園での彼女の同級生は本田美奈子岡田有希子、高部知子石野陽子らがいましたが、彼女たちが仕事に忙しく早退してゆく中で、南野は焦らざるを得ませんでした。事務所があてにならない中、南野は一人で売り込みを開始し、自分でプロフィール名刺を作成して、テレビ局や出版社を回りました。彼女にとって最初のチャンスになった週刊少年マガジンのグラビアの仕事は、そうやって彼女が自分で営業を行って獲得したものです。

このグラビアの仕事から、『スケバン刑事Ⅱ』の仕事が決まり、一躍彼女はトップアイドルになってゆくのですから、売れるうえで事務所には何の世話にもなっていないと彼女が思ったとしても当然でしょう。

エスワンカンパニーは作曲家の個人事務所のようなもので、音楽業界はともかく演技に関しては指導育成のノウハウがありませんでした。器楽的な意味において、南野がアーティストとして魅力に欠けるため、売出しに熱意が無かったのかも知れません。

横道の話になりますが、エスワンカンパニーには他に太田貴子が所属しています。彼女はアニメ『うる星やつら』の主題歌を歌い、アニメ『魔法の天使クリィミーマミ』に声優として主演したため(救いようがないくらい下手でした)、オタク層に支持されるアイドルになりました。しかし、自らの支持層であるオタク層を「気持ち悪い」と評したため、急速に勢いを失くします。アイドルの親衛隊と言えば、ヤンキーが多かったのですが、80年代後半からオタク層が目立つようになり、以後、アイドルはオタクのものになってゆくのです。

太田貴子や南野はその端境にいたアイドルです。

女優業についてはエスワンカンパニーではマネージメントが出来なかったので、青年座にマネージメントを外注する形になりました。この結果、南野はエスワンカンパニーと青年座に両属するような形になってしまい、急速に売れっ子になると、彼女のスケジュールを巡って両事務所が争い、頻繁にダブルブッキングが発生しています。

南野がスタッフに対して当たりが厳しい、厳しく叱責しているという噂はずっと以前からあったのですが、それを公に最初に示したのは浅香唯です。浅香唯は芸能界裏話のような話で、

「自分のスタッフに大声で怒っていて、テレビと全然印象が違った。芸能界は怖いところだと思った」

みたいなことを言っています。一応名前は伏せてありましたが、誰がどう見ても南野とすぐに分かるように作ってありました。

後に南野は週刊文春のインタビューにてそれが事実であることを認めています。その理由として、クライアントに迷惑をかけるダブルブッキングが頻発していたことを述べています。

また、そのインタビューの中で、当初はまともにマネージメントを受けられなかったこと、転機になった仕事は自分で営業活動を行ったこと、事務所独立時の確執についても述べています。南野陽子の独立を契機としてエスワンカンパニーは負債を背負って倒産しているのですが、その負債が南野が知らないうちに南野名義になっていて、数億円と言うその負債を南野が背負ったそうです。それが事実ならば刑事事件にもなるような話で、裁判に訴えれば南野は負債を免れたはずですが、アイドル南野陽子がそんなお金にまつわる醜い振舞をしては、ファンを傷つける、だから裁判には訴えなかったと述べていました。

これは南野陽子側の言い分ですが都倉氏から反論がなされていないため、大枠では事実と考えていいでしょう。

その後数年、テレビから干された、と南野は言っていますが、プロフィール年表を見る限り映画の活動は活発でしたから、余り干されていたという印象はありませんが、90年代は特にテレビドラマの影響力が強い時代でしたから、彼女ほどのコンテンツがテレビドラマでは活用されていなかったのは事実です。

この時期、南野は状況を打開するために、単身、ハリウッドに渡り、ユニバーサルスタジオの門の脇に立って、プロフィール写真を関係者に配っています。誰にも知らせずに自分一人で行ったことですが、もちろんカリフォルニアにも日本人は大勢いるわけですから、すぐにあの南野陽子がと噂になりました。とにかくものすごい行動力です。実際、オファーもいくつかあったらしいのですが、ちょうど日本での映画の仕事がたてつづけに入ったため、その仕事は友人知人に回したそうです。彼女はプロデューサーになっても大成したでしょう。

 

自分を持っている南野ですが、それが如実に表れたのは主演映画『私を抱いてそしてキスして』の完成記者会見での発言です。この映画は当時、日本でも広がりつつあったエイズ、その患者、患者に対する偏見を描いた作品で、啓蒙映画的な意味合いがありました。日本でのエイズ患者の大半は実は薬害エイズによって感染していたのですが、当時、厚生省によって患者第一号に認定されマスコミにも登場したのは同性愛者の患者でした。これは、エイズが同性愛者の病気であり、薬害エイズを覆い隠そうとした当時の厚生省の思惑があったと見られています。

橋本内閣で厚生大臣を務めた菅直人によって薬害エイズ被害が厚生省ぐるみでの怠慢によって引き起こされたと明らかになったのが1995年、この映画はその3年前の制作ですから、厚生省がまだ性病としてのエイズに焦点を合わせていた頃の映画です。

この映画ではヒロインが前の恋人によってエイズをうつされ、エイズであることにショックを受けるけれども、新しい恋人にはそのことを言えずに性交渉を持ってしまう。その結果、妊娠して出産するけれども、その恋人の愛に包まれながら死んでゆくという内容です。

あり得ないと言うかほとんど犯罪的なのは「エイズと知りながら他人と性交渉を持つ」ことを「あなたを失いたくなかったの、許して」みたいに処理している点です。この「愛がすべてを癒す」みたいなご都合主義的な展開についてはこの映画が社会問題を取り扱っているだけに記者から厳しい批判がなされました。

それに対して南野は、

「私もそう思います。映画の内容はご都合主義です」

と言うような内容の発言を行い、映画のコンセプト自体を批判する形になり、同席していた映画プロモーターは狼狽し激怒していました。ことここに至るまでに、内部で南野は批判を口にしていたのでしょう。

 

アイドル寄りの話をしましょう。

80年代半ばに究極の選択というお遊びが流行りました。「ウンコ味のカレーとカレー味のウンコ、どちらを食べるか」みたいなものです。そのひとつに、「南野陽子と一回やって死ぬのと、林真理子と毎日やって100歳まで生きるのとどちらがいい」という、いかにも男子中高生的な下世話で思いやりのないお題がありました。

ここで南野陽子はティーンズアイドルとして最大公約のセックスアイコンとして扱われています。これが他のアイドル四天王だとしっくりいきません。中山美穂だと妙に生々しいし、工藤静香では好き嫌いが多そうです。浅香唯はアピール層が南野よりはずっと狭い。

ここでは南野はセックスアイコンではありますが、何も実際にセックスをしよう、したいというわけではなく、男子同士が下世話に社交として名前を出すのにちょうどいい、ニュートラルな感じがあるからここで用いられているのです。

つまりセクシャルな印象がないからこそ、社交としてのセックスアイコン向きなのです。この、女子でありながら女性ではない感じがアイドル向きなのです。

南野陽子は『楽園のDoor』から『フィルムの向こう側』まで11作連続してオリコン1位もしくは2位を達成しています。そうでありながら、人口に膾炙した楽曲がほとんどありません。一番有名なのは『はいからさんが通る』『吐息でネット』でしょうが、同時代の小泉今日子や工藤静香、中山美穂のようには、カラオケで女子が歌う定番にはなっていませんでした。『秋の Indication』のように楽曲として優れたものもありましたが、おそらく南野以外の人が歌った方が楽曲の魅力を引き出せていたでしょう。

南野陽子は素材の時点でアイドルとして完成されているので、アーティスト性は無いのです。試しに、南野の楽曲を南野以外の人が歌っていたらと想像すると、どうもそちらの方が魅力的に見える。南野は楽曲が持つポテンシャルをむしろアイドル歌謡の域にまで引き下げているのではないか、私は南野のファンですがそう思わなくもありません。

私は工藤静香を実はそんなに歌が上手いとは思っていませんが、まあ80年代女性歌手としてはパンチのきいた歌い方をする、「」付の歌唱力はあります。工藤静香はその歌唱力によって訴求力があったのも事実でしょう。

中山美穂はフェミニンなロールモデルとしてアイドルの枠を超えて同性に支持されました。

他のアイドルたちがアイドル性の中核とは別の部分で武装していたのに対し、アイドル性そのもの、それだけでトップアイドルになり、長期間その地位を維持した、その点が南野が非凡なところです。

それは素材として彼女が圧倒的に優れているから出来たことでした。