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想・山口百恵

横須賀に行ってきました。小学生の時以来です。鎌倉から東の方はいずれも崖が迫る隘路を抜けて、這いずるようにして電車は進みます。家人の実家のある藤沢から、ふいに思い立って江ノ電横須賀線を乗り継いでの小さな旅でした。

何度乗っても江ノ電が面白いのはまるで日本のミニチュアのような路線だからです。江の島から西の、雑多な町を抜けていく路面も面白いし、鎌倉高校前あたりの海が開ける絶景もその爽快さにいつも絞り出すような息をひとつふたつ落とします。

稲村ケ崎から極楽寺、長谷にかけては、急峻な崖に沿って、まるで山岳鉄道のような趣を呈します。

鎌倉がそうであれば、実は逗子も横須賀もそうです。

市の名前を名乗りながらたぶん、横須賀市でも一番さびれている駅の横須賀駅を降りて、薔薇がここぞとばかりに咲き誇るヴェルニー公園を抜けて、三笠公園まで。そして不入斗の方へとゆっくりと歩いてみました。

横須賀ストーリー」や「タイガー&ドラゴン」をつい口ずさみます。けれどもどぶ板通りから米軍基地を抜ける界隈を歩く時、「横須賀ストーリー」は余りそぐわないような感じがしました。

不入斗のあたりで坂を上って海を見た時、ああ、山口百恵は山の子なんだなと思いました。横須賀と言えば港町で海ですが、海岸沿いの平地を抜ければ、緑豊かなという可愛らしい表現ではとても追いつかない、平家の隠れ里のような険しさが迫ってきます。

小中学生の行動範囲はかなり狭いものです。小中学生を横須賀で生きた彼女にとっては横須賀は汐入あたりのいかにもコスモポリタンな景色とは違う、もっと横溝正史的な土着性に満ちた風景であるはずです。

来て見てよかったと思いました。やはり行かなければわからないことがあるものです。

 

年齢的に、私は山口百恵をリアルタイムで知っている世代ではありません。かろうじて、「ロックンロールウィドウ」あたりが記憶に残っているくらいです。ただ、彼女の楽曲には、母が彼女のシングルとアルバムをすべて集めていたのでレコードを通して親しんでいました。彼女の活動期には家庭用ビデオはまだ普及していませんでしたので、動く彼女、動画として彼女のパフォーマンスを見るようになったのは You Tube 以降のことです。

動画で一番入手しやすかったのは映画作品で、「潮騒」「春琴抄」「古都」あたりは十代の頃に見ました。

山口百恵は、ヒットチャートを争うシングルレコード、独自の世界観を打ち出したアルバムレコード、文芸作品が続いた映画、荒唐無稽なテレビドラマ「赤いシリーズ」、篠山紀信と組んだグラビア、すべてにおいて充実した活動をなし、すべてにおいて傑出した成果を示した人です。

このような人は他にはおそらく沢田研二がいるだけでしょう。80年代に全盛を築いた松田聖子中森明菜にしても、女優としては大きな足跡を残していません。

山口百恵はあらゆる分野で売れた、売れただけではなく、圧倒的な才能を示した人です。しかしながら、敢えて選ぶとすれば、私はまずもって彼女の本質は女優だと思います。

彼女が主演した文芸映画は、他に多くの女優が主演したバージョンがあるのですが、どれをとっても山口百恵が一番説得力があります。スーパースターであったがゆえに、演技をどうのこうのと批評される立場にはなかった山口百恵ですが、後から振り返ってみればその演技の凄味は武者震いがするほどです。

シングルでは彼女はけれんみの強い歌を多く歌いました。唱歌のような王道中の王道ともいうべき「秋桜(コスモス)」のような歌であっても、「王道中の王道を演じる」という変則的な、実はもっともけれんみの強い提示の仕方をしました。

彼女の活動期の後期は、ある意味、日本のミュージックシーンが最も成熟した時代で、演歌はほぼ駆逐され、ベストテンのうち半分以上、あるいは7割以上がニュミュージック系が占めるという様相を呈していました。80年代のアイドル全盛時代は、そこから歌謡曲や演歌が盛り返して作り出した、いわばルネサンス、復興の時代になります。歌謡曲の時代は松田聖子中森明菜がいなければ、もっと早くに終焉していたはずでした。

そのような勢力図の変化を受けて、アイドルたちもニューミュージック寄りにシフトします。70年代は80年代よりもある意味、ずっと洗練されていたのです。

桜田淳子中島みゆきを歌うようには、山口百恵さだまさしを歌いませんでした。さだまさし谷村新司山口百恵に提供した楽曲をセルフカバーしていますが、それらの楽曲は山口百恵が自分のものにしていたのです。

「しあわせ芝居」は桜田淳子の歌というよりは中島みゆきの曲です。しかし「いい日旅立ち」は谷村新司の楽曲である前に山口百恵の歌です。それは単に歌うというだけではない、演じるという要素があったからではないでしょうか。

そこには真に、あらゆるルーツを持つ日本の歌謡曲がニューミュージックをも併呑する、日本の音楽シーンの誕生の萌芽があります。それはいずれ80年代になって、松田聖子を通して具現化してゆくものでした。

話は変わりますが、山口百恵の夫、三浦友和は本当にいい役者になりました。「さよならジュピター」に主演していた頃はこんなにいい役者になるとは想像もできませんでした。彼らの次男、三浦貴大も俳優になっていて、まだ若いながら父親の演技力と母親の存在感を併せ持った、さすがに血のなせる才能を示しています。彼が「徹子の部屋」に出演したとき、まあ、息子というのは余り母親の過去に興味を持たないものですが、彼も通り一遍に母親のことは歌手という印象が強くて云々と言っていた時、黒柳徹子が彼女は女優としても優れていたのよ、女優として評価してほしいというようなことを言っていたのを思い出しました。

黒柳徹子はもちろん「ザ・ベストテン」の司会として、トップアイドルとしての山口百恵のヒットチャートでの戦いぶりを一番知っている人ですが、その彼女が山口百恵はまずは女優というような意味合いのことを言うのは実に興味深いものがあります。

歌は数分間のドラマといいますが、山口百恵はそれを体現した人でした。

(今日はここまで。後日この項目に加筆します)

2014/6/12