追悼・西城秀樹

2018年5月16日、歌手の西城秀樹さんが永眠なされました。謹んで哀悼の意を表させていただきます。以下、敬称略で失礼させていただきます。

西城秀樹ウィキペディアでプロフィールを確認したところ、私が生まれる前にデビューしていて、ベストテン常連の歌手として私が記憶しているのは「ギャランドゥ」「抱きしめてジルバ」の頃なので、いわゆるアイドル時代の最末期の頃、ということになります。

私が住んでいた町、住んでいた地区は、人の入れ替わりが多いところで、選挙区で言えば衆議院選挙のたびに有権者が半分入れ替わると言われているところなのですが、それだけに地域のつながりを強化しようと言う試みも熱心に行われていて、5月6月の頃だったかと思いますが、わりあい盛大な地区運動会をやっていました。

あれは私がまだ幼稚園にも入っていない頃だったと思いますが、出張が多くて家を空けがちな父がたまたまその日はいて、うちわを作るという子供向けの講習会で自作したばかりのうちわを持って、澄み切った空の下で家族みんなそろっての運動会にはしゃいでいた記憶があります。

今思い起こせば、完全な幸福であった記憶だと思いますし、私にとってはたぶんそれが最初の思い出です。あの時の光とか、ちょっとした埃っぽさとか、なぜか鮮明に覚えています。

その運動会で頻繁にかかっていたのが「YMACA~ヤングマン」でした。これは発売が1979年の2月なので、ちょうどヒットしている時期だったのかも知れません。

40歳以上の日本人であれば誰でも、必ず人生の中に、こうした「ヒデキがいる風景」を持っているはずです。

西城秀樹という歌手は、そういう存在でした。

 

西城秀樹の曲と言えば、と問われれば、世代的に記憶しているのは「眠れぬ夜」「南十字星」「ギャランドゥ」「抱きしめてジルバ」あたりなんですよね。YMACAは別格として、それ以前の楽曲についてはむしろ、ネット時代になってから接することが多くて、初期のストロングスタイルのシャウトに、なんて歌の上手い人なんだと驚いたものでした。

80年代、90年代でも、むかしの歌手が懐メロを歌う番組はちょこちょこありましたので、世代的には合致しなくてもそれで知っている歌は結構あるんですね。大場久美子の「スプリングサンバ」とか、いつもあれを歌っていますから。

秀樹の場合は、ずっと現役でしたから。トップアイドルだった時代が異常に長いですね。懐メロを歌う機会がなくて、初期、中期の楽曲に接する機会があんまりなかったんですね。

ザ・ベストテン」入りした最後の曲は多分「抱きしめてジルバ」、あれが1984年10月ですよ。デビューが1972年の3月ですから、12年以上、現役のトップアイドルだったわけです。

私が思う限りでは、たぶん、沢田研二の次くらいに息が長いアイドルだったと思います。

私にとってはメイン対象の80年代アイドルと比較すれば、松田聖子でもトップアイドル時代は6年7年というところですよ。トシちゃんだって7年くらい、マッチも6年くらいじゃないでしょうか。

もちろんそれはシンガーとしての実力があって、のことですが、男性アイドルというのは、「売れにくい続きにくい」んですよね。女子は女性アイドルのレコードも買いますが、男子は男性アイドルのレコードは買いませんから。

秀樹はでも結構男性に支持されていたんじゃないかと思います。秀樹のレコードは男でも、大人でも、買って恥ずかしいと言うことはなかったと思います。また、そうでなければあれだけ長く第一線にはいられなかっただろうと思います。

 

1978年8月発表のシングル「ブルースカイブルー」は名曲、名歌唱との評価も高い作品ですが、確かにそうです。作詞が阿久悠、作曲が馬飼野康二、そして歌唱が西城秀樹と当時の日本歌謡曲界の才能が、それぞれの持ち味を全力で出し切った、そういう記念碑的な作品です。

しかしそれだけに、思うのですね。これは80年代後半以降、秀樹は大変だったろうな、と。

これは過去の不倫を青年が振り返って、不倫はいけないことだけど、愛は嘘じゃなかった、でも互いを、そして周囲を不幸にする愛だった、でもその愛はやっぱり嘘じゃなかった、というような、あの年齢の西城秀樹が歌ってぴったりする曲ですね。

いかにも阿久悠らしい歌詞。職人としての技量は頂点に達しています。しかしそれだけに、職人くささが鼻につく歌詞でもあります。

80年代半ば以降、阿久悠が急速に陳腐化してしまったのは、力量が衰えたからではありません。彼の「作詞」の能力は日本史上抜きんでて一番です。

ただ、例えば、「弱い者たちが夕暮れ 更に弱いものをたたく」というようなフレーズを自分たちの声で届けてしまうバンドが出てくる時代になってしまえば、過去の歌謡界そのものが陳腐化してしまった、そのパラダイムの変化を阿久悠西城秀樹もまともに受けてしまった、そう言う感じがします。

 

虚構は虚構として虚構の果てに逆に真実が見えてくる、ということもあります。宝塚歌劇団みたいなものでしょうか。郷ひろみは資質的にこちらの方向へ進みましたね。24時間郷ひろみ。おとぎの国の中でリアルに生きているから逆に陳腐化しない。まあ、家族の方は大変だったでしょうが。

西城秀樹がそういう意味ではおとぎの国としての歌謡曲性を徹底できなかったのは、生活人であり、常識人という側面を手放さなかったからだと思います。それでよかったのだと思いますよ。スターもスターである前に人間なのですから。

それに、歌謡曲の陳腐化に直面したと言っても、直面したのもそれだけ長く活躍していたからで、そのクライシスに直面する資格があったのはジュリーとヒデキだけだと思います。

 

90年代以降、秀樹の歌と言えば「走れ正直者」が一番有名なのですが、あれは大スター西城秀樹の余技的なものと捉えるのが普通かも知れませんが、私はちょっと違うんじゃないかなと思います。秀樹のパワー、熱さ、そういうものを、パワー、パッション、そのままではなく、ネタとしてしか消費できない時代、そういうクソのような90年代の象徴に思ってしまいます。

ネタを秀樹の余技としてではなく本質として消費してしまう、そういう無責任な批評家のようなマインド、私は「走れ正直者」が大嫌いです。さくらももこが大嫌いです。