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不思議の国のジャニーズ

1980年代にポール・ボネという著述家がいました。在日フランス人という触れ込みでしたが、週刊ダイアモンド誌上に「不思議の国ニッポン」というコラムを十五年以上好評連載していました。そのシリーズは角川文庫でも出されていますので、そちらの方が入手しやすいかもしれません。

年齢的に私はそれをリアルタイムで読んでいたわけではないのですが、後でまとまった形になってむさぼるように読みました。思想環境的には、リベラルな家庭で育ったので、筋道だった保守的な意見というものにそれまで触れていなかったので、それまでぼんやりと感じていた疑問がエスプリの利いた文章に接して、明確な形をとってくる、そう言う経験をしました。

だからと言って今、私は保守的な人間だというわけではないのですが、ポール・ボネの著作、その見解、思想を、受け入れるにせよ、乗り越えてゆくにせよ、私の思想的土台になったのは確かです。

ポール・ボネが健在だったら、SMAP騒動をどう見たでしょうか。不思議の国、どころではなく、異様な国と評したかもしれません。

ポール・ボネは実は日本人で、作家/評論家の藤島泰輔が中の人だというのは明らかになっています。藤島泰輔は今の天皇陛下のご学友の一人で、ジャニーズ事務所副社長メリー喜多川(メリー藤島)氏の夫です。メリー氏の娘の藤島ジュリー景子氏は藤島泰輔の娘でもあって、「藤島」は藤島泰輔に由来するわけです。

 

ジャニーズ事務所のアイドル、それは80年代以後は日本の男性アイドルと同義なのですが、SMAP以前とSMAP以後にはっきりと分かれます。

それは確かなのですが、SMAPの特異性は、アイドル性を維持したまま、バラエティ/ドラマのウェイトを高めて、男性アイドルの寿命を長寿化させたという一点にあるのであって、その結果が特異なのであって、過程が特異であるわけではありません。

アイドルとお笑い、というのはむしろ伝統的な歌謡界/芸能界では親和性が高いものであって、「カックラキン大放送」などを思い起こせば、アイドルでありつつ話術やコント能力が高い新御三家沢田研二キャンディーズなどはむしろアイドルの王道的な立ち位置にいました。

ザ・スパイダース堺正章や井上順が、そう言う意味ではSMAPの早期形を示していたと言えます。

ジャニーズ事務所所属の中にもバラエティ的な意味で知的な反射神経が鋭い人はいました。薬丸裕英がそうだったでしょうし、郷ひろみもそうでした。田原俊彦もあれでかなりバラエティ受けする人です。少年隊の錦織一清は非常にそう言う才能に長けていた人ですが、不思議と伸び悩んでいるように思います。

彼の場合は事務所を出ていた方が大成していたのではないでしょうか。

ただ、そう言う人たちは不遇をかこつか、事務所から離れています。ジャニーズ事務所では活かし切れていないのです。

これはジャニー喜多川氏の「バカな子ほどかわいい、アイドル向き」という好みや思想があるのかもしれません。

マッチが事務所に残って、シブがきの中では布川敏和がジャニー氏のお気に入りだったというのもうなずける話です。

光GENJIパラダイス銀河を歌ってた時ですか、「大人は見えない しゃかりきコロンブス」という意味がよくわからないフレーズがあるのですが、メンバーがそれをきかれてコロンブスを知らないということが露呈したことがありました。

光GENJIはそういう意味では非常にジャニーズ事務所王道的なアイドルであり、ジャニー喜多川氏のプロデュース能力はあそこが最後の華でした。

それ以後の主要なジャニーズ事務所のアイドルは、SMAPの亜流であり、SMAPを育成したのは飯島女史なのですから、ジャニーズ事務所のアイドル育成機能の中核は飯島女史が担っていたと見るのが妥当だと思います。

 

さて、今回の騒動の件ですが、多くの皆さんがお感じになっておられるようなことを私もまた感じています。

そもそも、タレントを干すとか、意思に反してしばるとか、非常識な低報酬を強要するとか、そういうのは独占禁止法やもろもろの労働法に反するところです。

反するところですが、反しないようになっているのでしょう。つまり実態としては違法性を内包しているのですが外形的には違法ではない、だから首に鈴をつけられない、そういうふうになっています。

残念ですが、法律が弱者を守るとは限りません。そう言う趣旨で制定されても、そうではない形で利用されることが非常に多いことはみなさんご存知の通りです。

存置理由的に言えば弱者を保護すべき社労士がむしろ弱者を抑圧することが多いのは、最近でも実例がありましたし、山口組四代目の竹中正久はその詳細な法律知識を武器としてのしあがりました。

ミスインターナショナルの方が某大手芸能事務所の社長から「彼女の主観的には脅迫」を受けていた件で、首相夫人の安倍昭恵が擁護に回ったにもかかわらず大手報道が一切ない、というのもこの国の現実です。

 

きわめて逆説的な言い方ですが、この国がそもそも暴力にきちんと向き合っていない、というのがこういう状況を招いているそもそもの原因です。

暴力に対抗出来るのは暴力だけです。

人権体制や民主主義は、その制度の中に、人権思想とは矛盾する要素、民主主義から真っ向からさからう制度がなければ存続できません。

例えばドイツの反ナチ法関連諸法ですが、あれは明らかに思想信条の自由や、政治的結社の自由を歪めるものですが、それを内包することによってドイツは人権体制を担保しているわけです。

アメリカでも議会の公聴会でのつるし上げに見られるように公権力による一端、他の諸権利を停止したうえでの介入があるのですが、そうしたある程度の「超法規的措置」によって法秩序が担保されているという側面もあります。

 

日本史の学術用語で権門体制論という言葉があります。

社団国家論とも通じるのですが、要は、国家が法的な存在としてあってその中に人民が内包されているのではなくて、既得権益諸団体が事実上の所属先として機能して国家はその寄せ集めと調整機能を持つに過ぎないという見方です。

日本は未だにこの社団国家的な性格が強いのですし、すべてがつながっています。

大手マスコミからして、テレビ局が新聞社によって系列化され、キー局を中心にして支配体制が確立しているという放送法の趣旨に明らかに反する実態を示しています。

大手マスコミは社団国家の外部にあるのではなく、内部にあるから、同じ内部にある芸能事務所の「脱法行為」を批判することが出来ないのです。

その意味ではSMAP騒動はただの芸能ニュースではありません。

まさしく今の日本の縮図の、国家の統治案件そのものです。

安倍首相がこの騒動に言及して、まるで人ごとのように語ったのは、彼のセンサーが低いというよりは、彼の夫人はともかく、彼もまた社団の人だからでしょう。

 

私はこの異様さを日本独自のものとは見ていません。

程度が甚だしくはある。それは確かです。しかしそれはスカラーの違いでしかありません。

どこの国でもよくあるのはマイノリティによる利益誘導組織体化です。

マイノリティはマイノリティであるがゆえに結束します。それは差別を克服するというプラスの側面ももちろんもっています。

しかし利益誘導をはかったり、本来なされるべき批判が圧殺される、という面もあります。

マジョリティは団結しないので、結果的に各個撃破されてゆくのです。

湾岸戦争後支持率90%を誇ったブッシュ大統領(父親の方です)も、親イスラエルによって歪められた中東政策を是正しようとすればマスコミからネガティヴキャンペーンを張られて再選できませんでした。

カーター大統領も中東和平の阻害要因をなしているのはほとんどはイスラエルが原因であると明言したのは彼が大統領を退いて30年も過ぎてからのことです。

そういうことはどこの国でもある程度はあるのです。

 

メリー喜多川氏はこの件を芸能界の中のコップの中の嵐と見ているのかも知れません。

しかし彼女は事を白日にさらしすぎました。

このことを他の芸能界ボスたちは非常に苦々しく思っているでしょう。

それは彼女や、彼女が属する芸能界という権門/社団を、国民全体の「人民の敵」にするプロセスの一歩になり得ます。そうなるかどうかはともかくとして、無駄にその危険性を彼女が高めたのは確かです。

私たちは液晶画面の向こうの芸能界を見つめる子供たちに、この国がどういう国なのか、果たして誇って提示できるのでしょうか。

 

追記:

某人から、ジャニーズファンの責任についてどう思うのか聞かれました。私はジャニーズファンの責任というものはないと思っています。あるとすればそれは社会人の責任、一個の人間の責任だと思います。

問題を知ろうとしたのか、問題を知った時にちゃんと考えたのか、自分たちの行動がどういう結果を招くか考えたのか、子供たちによりよい社会を残そうと努力したのか。

一人一人が自らに問いかければ良いと思います。