憂鬱な渡鬼~大河ドラマ『おんな太閤記』を観返す

橋田壽賀子は、大河ドラマは3本脚本を担当しています。『おんな太閤記』『いのち』『春日局』です。いずれもヒットしましたが、中でも『おんな太閤記』は大河ドラマとして前後と比較しても大ヒットして、まだ『おしん』を書いていなかった橋田にとっては代表作となった作品でした。

この作品は1981年に放送されたのですが、その2年前、1979年に放送された『草燃える』とこの作品は似ているところがあります。喜劇調に描かれながら、史実が陰惨そのものであるためにどんどん暗くなってゆく、登場人物がどんどん死んでゆくところです。

西田敏行は大河の常連ですが、この大河以前では『花神』で山県有朋を演じています。大きな役としては、山県有朋役が最初になるのですが(それ以前に北条義時を演じていますが、平家が題材の大河ドラマでの北条義時ですから、後半の小さな役です)、会津出身である西田が、長州閥の巨魁である山県を演じることに抵抗があったと後に述べています。西田は役の幅が広い俳優ですが、大河で最初に演じたのが一番、陰険度の高い山県役であったことは注視すべきでしょう。

『おんな太閤記』では秀吉役に抜擢されて、池中玄太80キロっぽい演技で秀吉を好演し、妻のねね(佐久間良子)を「おかか」と呼んで、流行語になりました。

豊臣秀吉役ですね、どの時代の秀吉を切り取るかに拠るのですが、全体の雰囲気としては『天地人』の笹野高史が演じた秀吉が一番それっぽいと私は思います。『おんな太閤記』の秀吉は魅力的すぎますね。

『おんな太閤記』は橋田壽賀子脚本ですから、いわゆる橋田ファミリーが多く出演しています。事実として踏まえておかなければならないのは、『おんな太閤記』は橋田脚本のテレビドラマとしては最初の大ヒット作品だということです。いかにも、な面々が多いのですが、『おしん』も『渡る世間は鬼ばかり』も書かれていない当時、手垢がついている感じはありませんでした。

大政所なかが赤木春恵、朝日姫が泉ピン子、日秀尼ともが長山藍子蜂須賀小六前田吟、えなりかずきはまだ生まれていません。

このドラマはホームドラマとして太閤記を描くことに主眼があり、この場合、ホームとは豊臣家の人々なのですから、豊臣家の人々をこれほど丁寧に描いた大河ドラマは他にはありません。

豊臣家がなまじ天下をとったばかりに、豊臣家の面々がことごとく不幸になってゆく、その転落ぶりはすさまじいほどです。

副田甚兵衛と朝日の悲劇はよく知られていますが、ここで副田甚兵衛を演じるのがせんだみつお、朝日が泉ピン子と言うのが、かえって普通の田舎夫婦が天下の論理で引き裂かれてゆく感があって、絶妙な配役ですね。

朝日は母のなかと共に、百姓原理主義的な見方をする人、家族みんな元気で野良仕事に精を出すのが一番の幸福という考えの人なんですね。そういう彼女にとって秀吉は既にある幸福を危うくするギャンブル好きの兄様でしかない。副田甚兵衛は秀吉の股肱の家臣で、この兄様についていけば間違いない、妻にも良い着物を着せてやれると考える、これもまた素朴な向上心のある男です。

「あんな口八丁でまかせばかり言う兄様に関わってたらろくなことにはならん。尾張で百姓をやろう」

と言う朝日に対し、

「そんなこと無理にきまっとるよ。末は大名にしてくれるって兄様も言ってるんだからついていけばいいがね」

と甚兵衛は考える。しかし結局、朝日は離縁を強いられて徳川家康の継室にされるのです。

秀吉の姉のともは素直に弟の出世を祝っていますね。両親を同じくする姉ですから、史実でも姉弟仲は良かったのでしょう。彼女は乗り気でない夫の尻を叩いて、さむらいとして出世しろとせかします。彼女は母なか、妹の朝日とは考え方が違いますね。秀吉を一族の出世頭とみなして、秀吉をてこにして、一族郎党飛躍を遂げようと言う野心があります。

しかし彼女も大きな悲劇に見舞われます。

長男、秀次の切腹、秀次の子らもことごとく処刑されます。

彼女の子孫のうち、そして豊臣家の血統のうちで唯一生き残るのは、ともの次男・羽柴秀勝(小吉秀勝)がおごうとの間に産んだ豊臣完子だけです。

大坂の陣の夜、炎上する大坂を遠い空の下に見ながら、生き残った豊臣家の人々、ねね、とも(日秀尼)、副田甚兵衛、年寄三名が京都の高台院で寄り添う、その姿を見ていると、本当に人にとって幸福はなんなのか、考えさせられますね。