オリンピック招致の力学

近代五輪では各国ごとに国内五輪委員会が置かれ、招致・運営では開催国が国家レベルで対応することが求められます。開会式では国家元首、政府代表が開会を宣言することになっていて、過去3回、日本で開催された五輪では(1964年東京大会、1972年札幌冬季大会、1998年長野冬季大会)、その時の天皇陛下が開会を宣言なさっておられます。

誰が開会宣言を行うのか、と言うのもわりあい面白くて、カナダでは1976年のモントリオール大会では、英連邦の国家元首、イギリスのエリザベス2世がカナダ女王として開会宣言を行っていますが、1988年のカルガリー冬季大会、2010年のバンクーバー冬季大会では、カナダ総督が開会を行っています。同じく英連邦の一員であるオーストラリアでも、1956年のメルボルン大会ではイギリス王配であるエディンバラ公フィリップ王子が開会宣言していますが、2000年のシドニー大会では民選のオーストラリア総督が行っています。カナダ、オーストラリアが旧イギリス領の色彩を薄くして、独自色を強めているのが反映されています。

 

近代五輪はヨーロッパ発祥ですから、初期の開催国はヨーロッパ諸国ばかりです。以前、スケート競技でしたか、移動の際、役員がファーストクラスなのに選手がエコノミーだったことがあって、本末転倒ではないかという話がありましたが、五輪のアマチュアリズムというのは要は金持ちの道楽ということなので、役員は貴族や大金持ちで、彼らがスポンサーになって競技を運営するのが普通だったので、選手よりも役員が優遇されるのは「本来の五輪」らしい在り方です。ウィンタースポーツ、特にフィギュアスケートなどではスポンサーのオーナーシップがまだ残っているようですね。

アマチュアリズムですから商業的成功は度外視されて、五輪は大会終了後のバランスシートが大赤字になるのが普通でした。五輪を開催するのは、権利ゆえではなく、利益を求めてのことではなく、「高貴なる者の義務」として行われるものでした。

この路線が転換したのがスペイン出身のサマランチがIOC会長に就任して以後のことで、彼は五輪のテレビ化、商業化を進めてゆきます。1971年生まれのハナブサが最初に記憶している五輪は1984年のロサンゼルス大会です。大会マスコットのイーグルサムが描かれたグラスを景品で貰ったのを覚えています。

ロサンゼルス大会では、現在につながる数々の商業化の措置が本格的に導入されて、大会終了後、巨額の黒字を計上しました。大会委員長であったピーター・ユべロスはその手腕が評価されて、MLB(大リーグ)のコミッショナーに抜擢されています。以後、五輪開催は儲かるものになって、開催を希望する年が飛躍的に増えました。大会終了後の施設の維持管理費を含めれば本当にペイするのかどうかは疑問ですが、財政的な面でハードルがかなり下がったのは確かです。

ロサンゼルス大会以前は開催立候補都市は少なく、特に1980年の夏季大会は立候補がなくてIOCがソ連に泣きついて、モスクワ大会を開催して貰った経緯があります。ソ連によるアフガニスタン侵攻で、日本を含む西側諸国はモスクワ大会をボイコットしましたが、泣きつかれたから引き受けたのに面子を潰されたとしてソ連は激怒しました。それが1984年のロサンゼルス大会でルーマニアを除く東側諸国のボイコットを招きました。ルーマニアの当時の大統領は1989年の東欧革命で民衆によって殺害されることになるチャウシェスクでしたが、ルーマニアは当時はソ連の統制を離れて独自路線を行くことが多く、西側ではチャウシェスクは「物分かりがいい指導者」と見られていました。また、中華人民共和国は建国以来、五輪を資本主義の腐敗の象徴として忌避していましたが、70年代の米中接近を受けて、1980年のアメリカで開催されたレイクプラシッド冬季大会に初めて選手団を派遣し、続く1984年のロサンゼルス夏季大会でも大規模な選手団を派遣しました。

1984年ロサンゼルス大会は商業主義、政治色が強いという二点で、ターニングポイントになった五輪大会です。

 

1984年ロサンゼルス大会以後、五輪招致活動が熾烈になりました。五輪招致運動がかくも激しくなったのはたかだかここ30年の話なのです。

IOCは五輪開催において「地域持ち回りはしない」と言っています。実際、2018年平昌冬季大会(韓国)、2020年東京大会と東アジアでの開催が続く予定になっていますが、冬季大会はそもそも気候的に開催可能国が限られることから、冬季大会と夏季大会で開催地域が連続することはこれまでもありました。

ただし夏季大会では、初期の、事実上、欧米諸国のみが参加していた頃を別にして、戦後、特に80年代以降は開催地域が連続しないように留意されているのは明白です。

2020年に東京大会が決定されたことから、2024年の候補都市である釜山(韓国)、台北(台湾)が開催地になる可能性は非常に小さくなりました。韓国や台湾は親日であれ反日であれ、今回の投票では東京を支持しなかったでしょう。

今回、最終候補三都市は、東京がアジア、マドリッドがヨーロッパに所属するのは自明として、イスタンブールはアジアとヨーロッパに両属しています。トルコの国内五輪委員会はヨーロッパ五輪評議会に属していますが、国連での分け方ではトルコはアジアの国です。

韓国や台湾の支持が東京には向かわなかったとして、マドリッドイスタンブールのどちらに向かったかを推測すれば、おそらく、より非アジア色の強い、マドリッドに向かったでしょう。2024年大会の最有力候補都市はパリですから、パリ潰しの意図からも2020年大会ではヨーロッパの都市であるマドリッドを支持するのが合理的です。

中国としては2024年大会で万が一にも台北で五輪が開催されるのは絶対阻止したいはずです。そのためには2020年大会は東京開催が望ましいでしょう。おそらく中国のIOC委員は東京に投票したと考えられます。同じく、韓国開催を望まない北朝鮮も東京を支持した可能性が高いです。

それらと同じ理由で、2024年大会候補都市を擁しているヨーロッパ諸国、フランス、ドイツ、イタリア、ロシア、ウクライナは東京に投票したでしょう。

アジアでもなくヨーロッパでもない国で、2024年大会候補都市を抱えているアメリカ、カナダ、モロッコ、メキシコはパリ潰しの意味からマドリッドを支持したでしょう。

イスタンブールはイスラム圏初、中東初の開催を狙っていましたが、トルコはイスラム圏ではあってもアラブではありません。アラブ諸国は当然、イスラム圏初の開催はアラブでと考えるでしょうから、トルコにその名誉を譲るとは考えられません。東京かマドリッドのどちらかに投票したでしょう。

 

このような事情を踏まえて各都市の基礎票を見ると、東京18票、マドリッド12票、イスタンブール0票になります。

この投票時点でのIOC委員は103名です(ウィキペディアの日本語版は記事が古く、英語版は新しすぎます。この投票後にIOC委員の入れ替えがありましたから、英語版の記事は既にそれが反映されています)。候補都市を擁する国の委員には投票権がありませんから、スペイン3名、日本とトルコが1名ずつの計5名分の票が差し引かれます。

第一回投票と第二回投票(二位決定投票)ではロジェ会長は投票しませんから、更に1票が差し引かれ、エジプトとフィンランドの委員、計2名が欠席しましたから2票が差し引かれます。

第一回投票では合計95票で争われた計算になるのですが、実際の合計は94票になっています。第二回でも94票、最終投票ではロジェ会長も参加して、96票になっています。つまり謎のX氏が1名いて、その人は第一回と第二回の投票では棄権した、もしくは無効票だったけれども、最終投票では参加したことになります。

各都市の基礎票ではない票は各都市に三分割されるとし、アラブ諸国のうち、2024年の候補都市を擁する(その時点で)カタールとアラブ首長国連邦の票はマドリッドに投じられ、それ以外のアラブ諸国の票は東京とマドリッドで二分されるとします。

これらを踏まえて第一回投票での、「妥当な」推計得票数は、

東京 40.5

マドリッド 34.5

イスタンブール 19

になります。実際の得票数は、

東京 42

マドリッド 26

イスタンブール 26

でしたから、東京はやや健闘、マドリッドは大惨敗、イスタンブールが大健闘したことが分かります。

ハフィントンポストなどでマドリッド優勢が事前に伝えられていたのは一体何だったのでしょうか。五輪は平和の祭典ですが、言うまでもなく国威発揚の場所でもあります。

夏季大会を中心にしていえば、アメリカではわりあい頻繁に開催されています。1984年のロサンゼルス大会の次が1996年のアトランタ大会は12年後、冬季大会でもその近いところでは1980年のレイクプラシッド冬季大会、2002年のスルトレイクシティ冬季大会が開催されていますからアメリカでの開催は例外的に非常に多いです。

これは五輪運営の事実上のスポンサーがアメリカの放送メディア、アメリカ企業であることと、北米地域に分類されるのがアメリカとカナダに限定されること(メキシコは中南米地域のカテゴリーでしょう)の二点が理由です。そのアメリカも2024年夏季大会を開催出来なければ夏季では最低32年は開催がないことになりますし、冬季を含めても26年は開催から遠ざかることになります。

戦後、夏季大会が同一国で開催された例があるのは(アメリカを除いて)、オーストラリアがメルボルン大会とシドニー大会の間の44年、イギリスが1948年ロンドン大会と2012年ロンドン大会の64年のスパンを開けての開催があります。日本も1964年東京大会と2020年東京大会の56年の間隔を開けての開催国になります。

オーストラリアが結果的に優遇されているように見えるのは、南半球で五輪を開催できる国が事実上オーストラリアしかなかったからですが、リオデジャネイロ大会も2016年に予定されていますし、今後、アルゼンチンや南アフリカでも開催が見込まれますのでオーストラリアでは60年、70年経たないと夏季大会は開催されないでしょう。イギリスの場合は冬季大会も開かれたことが無いので、ヨーロッパの主要国としては2012年にロンドン大会が開催されたのは不思議はありません。

日本は冬季大会をすでに二度開催したうえでの、今回の二度目の東京五輪決定ですから、オーストラリア以上に優遇されていると言っていいでしょう。これはオーストラリアと事情が似ていて、80年代後半までは、非欧米諸国で五輪を開催する能力がある国は日本だけだったので、五輪開催がわりあい多い国になっています。今回、対抗都市がマドリッドイスタンブールでなければ、2024年大会の候補都市でヨーロッパ主要国が軒並み名乗りを上げていなければ、東京開催決定は難しかったでしょう。

五輪は国が主体になって運営しますから、招致を巡っては国益がぶつかる場所です。ロビー活動はもちろん招致のため、中間票を取り込むためには重要ですが、各国の思惑の方がより重要です。2016年の招致活動が駄目で、今回が良かった、とは言い切れません。あくまでタイミングの問題です。

スペインは1992年にバルセロナ大会を開催しました。仮に2020年にマドリッド大会が開催されていたとしたら、その間隔は28年でしかありません。フランスでさえ戦後は夏季大会を開催していないことを踏まえると(パリを含め何度も立候補はしていますが)、「身の程知らず」と思われたとしても無理もありません。

特殊な例外、別格であるアメリカを除けば、南半球唯一の大国であったオーストラリアで44年間隔、『大英帝国』で64年間隔、そして経済大国日本でさえ56年間隔なのですから、「おいおい、スペインごときがアメリカにでもなったつもりかよ」と冷笑されるのも予期すべきでしょう。

スペインは地域分裂の国内事情で、カタロニアのバルセロナで五輪を開いたなら、カスティリアマドリッドでも、という国内の欲求があるのでしょうが、スペインの他国の感情を考慮できない無謀な立候補への反感がマドリッド惨敗につながったと見るべきです。マドリッドは3回連続の落選ですが、あと30年くらい経たないと出るだけ無駄でしょう。他のヨーロッパ諸国が敵に回るだけです。

スペインが力を入れるべきなのは冬季大会の開催であって、まだしもそちらの方が、実現可能性が高いのでしょうが、スペインのスキーリゾートと言うと、カタロニアやバスクが中心になるのでしょうか。

スペインの例を参照にすれば、日本も2020年東京大会以後、半世紀は夏季大会は開催の見込みがないことを知っておくべきでしょう。日本も第三者にとって魅力があるかどうか、納得が得られるかどうかではなくて、身内の盛り上がりで招致活動に突っ走る傾向がありますから、やるだけ無駄なことに税金を注ぎ込むのはやめてほしいですね。冬季大会は可能性があるかも知れませんが。

 

第二回投票(二位決定戦)では、

イスタンブール 49票

マドリッド 45票

で下馬評と違って、マドリッドは最下位で落選しました。これはイスタンブールが支持されたと言うよりは、マドリッドが嫌われたと見るべきでしょう。

決選投票では、

東京 60票

イスタンブール 36票

で、もしマドリッドの票が半々で割れていたとしたら、イスタンブールは41.5%を獲得すべきなのに、実際には37.5%しか獲得していないので、イスタンブールは推計値よりも競り負けています。ここでは東京は「まあまあ健闘した」と言っていいでしょう。

2020年東京五輪招致活動は、最終候補が絞られた時点で、2024年の招致活動を見越して言えば、東京が圧倒的に有利なのは見えていました。ですから、東京五輪が決定されたと言っても、それが原発事故に対する日本政府の対応が国際的に信任されたということではありません。各国は自国の利益を優先させたというだけのことです。

その、東京に有利だったポテンシャルを踏まえていえば、実際の結果は、大健闘とまではいかなくて、まあまあ健闘した、と言えるぐらいです。

首都圏人としては、物価上昇や混雑、ハコモノを作るための財政赤字が予想されて、あんまりウキウキする気分ではないのですが(サミットも東京以外の場所で開催されるようになってほっとしています)、決まった以上は外国からのお客様が快適に日本滞在を楽しめるようになるのを願っています。